4月11日剣道範士九段 奥園國義先生が87歳を一期にご逝去されました。
ここに謹んでご冥福をお祈り申し上げ、お知らせいたします。
なお、石塚美文先生から追悼文が寄せられましたのでご紹介させていただきます。
剣道範士 故 奥園國義先生をお偲びして 大阪府剣道連盟 常任理事 石塚美文 |
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全日本剣道連盟相談役奥園國義先生の御訃報に接したのは4月11日でした。先生は、間近に控えた京都での全日本剣道演武大会を殊の外楽しみにされていらっしゃいました。その矢先の出来事に心が痛んでなりません。謹んで哀悼の意を表し、衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。
鹿児島県ご出身の先生は、吾々郷土の先輩として時には叱正され、厳しい面もありましたが心根の優しいほんとにおもいやりのある尊敬できる先輩であり剣道家でした。
先生は、幼い時分から尚武気質の烈しい地域で、少年の健全育成を目的とした「健児団」と呼称される集団と、正課授業の剣道で厳しく鍛えられ、生傷も絶えなかったと聞いています。月刊「剣道時代」の剣道自分史にも喧嘩早いガキ大将の先生のお姿が書かれていますが、私が知り得る限りでは、いつも微笑んでおられる温厚なお顔しか思い浮かびません。
道場に立たれますと、選手の側に寄り、肘を鷲づかみにしながら、「良くなってきたぞ」と褒め、選手をやる気にさせるなど指導力は卓越したものがありました。
また、先生御自身は戦争を体験され、神雷特攻隊「桜花隊」で特攻隊要員として出撃準備までされたようです。戦友の死を間近に見る毎日、次は自分の番だと死の決意の日々が続きました。その辛く苦しい体験から強靭な精神力が培われたと話されていました。
戦争によって鍛えられた心身は、当時の主席師範越川秀之助先生・長谷川壽先生の御指導御薫陶を受け、大きく開花されました。そして大阪府警「七人の侍」の代表選手として全国大会で優勝されるなど、輝かしいご功績を残されました。また、第13回明治村剣道大会では、見事優勝され、平成10年には九段位まで御昇段されました。先生の数々のご功績に対し敬意を表するばかりでございます。
先生から常日頃御指導頂いたお言葉に「一剣報國」があります。これは故井上正孝先生から奥園先生が八段に御昇段された時に揮毫して頂いた箴言のようですが、先生のご自宅にお伺いしましたとき、「私は、剣道しか能がないから活かされた命を、剣道で日本の國に恩返しをするんです。」と、ひとり言のように話されたことを昨日の様に思いだします。吾々も、先生の直向きな想いを脳裏に刻み、微力ながら頑張っていかなければと決意を新たに致しました。
奥園先生、永きにわたるご指導本当にありがとうございました。これからも天国でどうか私たちをお見守り下さい。先生のご冥福を心からお祈り申し上げお別れの言葉とさせていただきます。